人間が生かされているという意識を
常に感じられないのは人間が慢心を持ち合わせており、その慢心を手放せないからではないだろうか。
慢心を手放せないのは
自己を守るため、自分を改革していく意識。
自己を強めるため、学ぶ意識。
自分をアップデートするために、それは
まだ見ぬ明日のため、未来のために
生きようとする心の在り方だろう。
人は生きていくために慢心に陥る。
そして、生かされていることを忘れてしまう。
慢心から人は逃れられないのだろうか。
では、慢心がなければ人は堕落するだろうか。
では、堕落とは何だろう。
堕落することも生きようとする一つの在り方ではないか?