使命感はなぜ生まれたのか?

病気が完治して、不安に苛まれた。その不安はアイデンティティーの喪失が

要因であり、その結果、新たなアイデンティティーを補完しなければならなくなった。

そのアイデンティティーの補完はいつから始まったのだろうか?

それは、やはり病気を克服してすぐの職業選びだろう。

あの頃、アイデンティティーであった病気を失ってしまった私は、空っぽの

状態だった。きっと、あの頃、自分にとって仕事など何でもよくて、とにかく

空虚で非日常的な日々を少しでも和らげ、落ち着くことを欲していた。

 

あるパン屋での勤務

そのような日々を断ち切るように母の親戚の関わりでパン屋を経営する

とある実業家から、勤務することを勧められる。だが、そこでは半日しか

勤務することができなかった。そこで、とある実業家から言われた言葉が

「人の役に立つ仕事をしろ」だった。

 

その言葉に心が動いて、介護職を志してみようと思った。

 

介護職を志望

その実業家から言われた言葉がどのような言葉であるにせよ

きっと、何かを言われたことが嬉しかったのだろうと今になって振り返る。

人から少しでも必要とされたこと、自分の存在を捉えてくれていたことが

衝撃的だったのかもしれない。自分の未来を考えてくれていたことといっても

いいのではないだろうか。

そこから、人の役に立つ仕事をやってみようということで、介護職に就いてみた。

その介護職で得たものはどのようなものだったのだろうか。

 

介護職で感じたこと

利用者を支援することに喜びはあまり感じられなかったかもしれない。

ただ、支援をすることそのものが嫌いだったわけではなかった。

人のためになっている実感の得られる仕事だったし、人の嫌がることを

あえてやっている自分に酔っているような、喜びを感じているような

そんな感覚になることが多々合った。

しかしながら、人の支援をすることは想像以上に難しく、失敗ばかりで

自分の意志を疑うことが多かった。利用者のためを思って行おうとする

行為が、利用者の反応によって、利用者の不利益にることをわかっていながら

その行為を完遂することが何度もあった。そういう経験を重ねるたびに自分が

志した介護職、人のためになる仕事を心罪したことそのものを本当にしたかった

ことなのだろうかと疑った。

 

IT業界への憧れ?エンジニアを志す

給料も良く、フリーランスで働けるエンジニアとして働きたいと思ったことがある。

待遇の面、体裁の面(周りからよく思われやすい?)介護職は社会的な地位が低いと

思われているから。そんな介護福祉の世界ではなく、もっと地位の高い業界に転職したいという思いから、エンジニアの勉強を始めた。また実家から早く出ていきたいという

思いも強かったと思う。

でも、勉強はあまり上手く行かなかった。

 

勉強が上手くいかなかったことだけが原因だろうか?

介護職として働きながら、IT業界に行くか、福祉に行くかを反芻していたのを

思い出す。何度も、福祉に行くことを決意してはそれを否定していた。

地位が低いからだろうか。きっと、それが答えなのだろう。

では、過去の闘病経験を活かしたいという思いは嘘なのだろうか?

いや、それは嘘ではないはずだ。確かに過去の闘病経験が心理的な成長に関与

しているし、人の役に立ちたいという思いは嘘ではない。

いま、IT業界に行きたいという思いもほぼない。

 

 

 

 

 

 

なぜ、使命感を感じたのにも関わらず、それほど福祉の業界に進むことにワクワクしないのか?

使命感を感じることそのものに喜びを感じているのかもしれないという

気がするわけだが、それはきっと自分の性質に

 

 

 

少なからず使命感を感じた障害者福祉業界に対して、なぜ迷いが生じていたのか??