なざ、脱施設化は難航するのか?

1960年代から始まった知的障害者、重症心身障害者らを

保護するために設立される大規模施設である「コロニー」は

障害者の保護者の家族にとって、家族介護を緩和してくれる

安心できるものだった。

しかし、ノーマライゼーションの考え方が生まれ、海外から

その思想に則り政策を進めるよう指摘された政府は、施設の解体を

進めなくてはならなくなった。

 

日本では、障害者の家族のために大規模施設を増やしていく目標と

ノーマライゼーションの理念を考慮した脱施設化の理念が相反する形で

進む形となってしまった。

 

海外では、日本が知的障害者や重症心身障害者を保護するもっと前から

彼らの保護の時代を経験しており、その失敗と反省を踏まえた上でのノーマライゼーションの浸透であったが、日本は、海外の歩みに歩を合わせる形を取らざるを得なかったというわけである。

 

というわけで、日本にとっては、ノーマライゼーション(脱施設化)を進める

ための国民、住民の意識が整っていないのだ。

家族介護のセーフティーネットとして発展した大規模施設であったのにも

関わらず、障害者差別の正しい観点では、日本の在り方は世界からみて遅れを

とっており、間違ったものであることは間違いない。

 

現実的に考えて、今後の日本の正しいあり方としては、徐々に大規模施設を

解体しつつ、グループホームなどの地域に根ざした小規模施設を多数建て、施設を解体した先の受け入れ先を確保することと、大規模施設から地域に根ざした障害者施設の移行を実現するために、国民の意識の改革にも努めなければならない。