些細な出来事で傷ついた心を慰めながら
済ませなければならない日常の雑事の為
身体を休めるこの一時の意識は過去と未来に
在るといえる。
ベッドの上に横たわる身体は今にあるが
意識(精神)は過去と未来を往来しているのだ。
今日という日を、あの些細ながらも重要な
人生の一日を悪いものにはしたくないという
思いからだけでも、今を生きるために、それは無意識的にからかもしれないが、人間は生きようと努める。
なぜなら、人生の中で今日という日はもう二度とは戻ってこないからである。
しかしながら、先ほども述べたようにそれは
あくまで無意識のうちにである。
もう二度と戻ってこない一日を意識しているわけではないと言っても過言ではない。
では、なぜ無意識のうちにでもその一日の
重要性を感じ取っているのだろうか。
それは、やはり何かしたいことがあるからだろう。
何かやりたいことがあるからこそ、人はその重要性を感じ取れるのだ。
欲求や欲望によってその一日の時間の有限性を
感知し捉えることでその欲求に応えるべく
過去と未来を往来するのかもしれない。
過去を振り返り、生きた過去の傷の綻びを縫い合わせるのは、未来の欲求を満たすための計らいであり、未来の欲求を果たすための今に向けた土台作りでもある。
人は常に未来志向であり、その未来のために
過去を精算しようとするのだろう。
人生の中の些細で重要な一日を無意識のうちに
意識するのは、その未来志向のためである。
欲求に先立って未来があるからこそ
未来志向であるわけだが、では人間は
欲求によってのみその一日一日の重要性を
捉えることが出来るのだろうか。 続