自分の為に人の為を思い行為することは
純粋さそのものである。
その反対に他人の為に人の為を思い
行為することは不純そのものである。
いずれにせよ、その行為は自分の為である
事に変わりはない。
自分の為である理由自然に内的に
表現できないのは自らを欺いているから
ではないだろうか。
しかしながら自己を欺く本心とは
何を指しているのだろいか。
それは情愛、奉仕、思い遣りであると
意識上に上るものの、どこか違和感を
感じる。
それは恐らく、その心が苦しいからだ。
またその苦しみは本来、自分の為の
ものであることは間違いない。
にも関わらず自分の為であると
自己を欺く心そのものに真実味を欠くから
こそ、そこに違和感をおぼえるのだろう。
では、なぜその心に素直になれないのだろうか。
愚かさ。人間は苦しみなど欲しないもので
ある。が、